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zoom RSS 知らせざるプロセス!第2章が始まります。

<<   作成日時 : 2018/12/08 00:26   >>

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写真は、本格的な練習場になった「定山渓・三笠スキー場」です。 名前の由来は、三笠宮殿下がやって来て滑ったそうで、三笠スキー場になった。バックにある山荘は、当時小学生から中学生の頃に母に大きな鮭おにぎりを作ってもらい、この小屋で行く度に食べた思い出があります。 写真の真ん中は、兄・右が自分・左が父の弟さんの息子さんで親戚に当たります。

 第二章 競技スキーにハマる -1

 1966年四月、定山渓中学校に入学して間もない時だった。歩くと腹部の右上が、痛い日が続いた。
 少しの振動でも痛くなった。まとも歩くことも出来なくなっていた。

 母に、この辺がずっと痛い。と伝えた。病院に行って見るか?と訪ねた。
 私はもう痛さに我慢出来なかった。連れて行ってと、叫ぶように答えた。

 急性肝臓炎と、診断された。
 長期の休養が必要だと医者が言った。結局約一ヶ月半、学校を休む羽目になった。
 
 気力も体力も全てダウンしてしまった。この時、初めて気づいたことがあった。
 それは、身体が細くて体力が自分には無いことだ。

 学校を一ヶ月半も休むことは、相当なショックだった。
 母も、凄く心配していた。肝臓と言えば大事な内蔵で、これを悪くするとまともに生きては行けない。でも、自分ではどうすることも出来なかった。
 只々疲れて眠たかった。家では何をするのでも無く、殆ど寝ていた。大変な落ち込みだった。

 家の中だけなので、何も遊べなかった。一番気になっていたことは、冬のスキーシーズンのことだった。
 何とか冬までには、この病気から一刻も早く立ち直らなければと思った。なぜならば、スキーシーズンがやって来るからだ。
 逆にスキーシーズンでなくて良かったと、良い方向で考えた。冬になる前には直さなければ、と言う思いだった。

 一ヶ月後、順調に回復して来た。しかし寝てばかりいたので体力がガクンと落ちていた。顔も真っ白くて、見るからに病み上がりの顔つきだった。これでは学校まで歩くことはきつい。

 家の回りを歩いたりして体力を回復させていた。その甲斐もあり無事に回復して、学校に行けるようになった。
 私はこれを教訓に、強い身体を作ることを決意した。気力が戻って来た。

 夏も過ぎて後三ヶ月もしたら、雪が降りスキーシーズンがやって来る。一刻も早くトレーニングを開始しなければ成らないと思った。毎日、トレーニングをする事にした。

 トレーニング日誌を付けようと決めた。屈伸40回+30回+30回=100回、現在では殆ど見られなくなったトレーニングの一つのウサギ跳び30回を2セット、腕立て伏せなどを入れた筋力トレーニングだった。

 最後には、ストレッチで身体を柔楽することも忘れなかった。毎日は辛かったが、明らかに筋肉が付いて来たことが嬉しかった。

 毎日トレーニングをやった項目に◯×を付けた。◯はやった時で、×はやらなかった時と言うふうにチェックを入れる簡単な日誌だった。その数が増えることを楽しみにしたことが、毎日トレーニングを続ける原動力になった。

 トレーニングの中で、山歩きという項目もあった。ある時に裏山の山道を歩いているとガサガサと音がして、黒いものが動くような気配する事がしばしばあった。多分、熊だと思った。

 ここ定山渓では、良く熊に襲われる事件が多発していた。山菜採りに出掛けて、また釣りに出掛けてなどで、熊に遭遇してしまい熊もびっくり仰天してしまい怖くて襲うと言う。

 その事件が起きると、にわかに営林署が忙しくなる。こう言うことも仕事の管轄に入っていて、父は熊打ち(熊ハンター)と山へ出掛けることもあった。

 時には300kg以上の大きな熊を仕留める。駆除された熊は、家の近くの土場に運ばれて来る。兄と私は、すぐに見に行った。目の前で見ると、それは大きい図体で、私の五倍ぐらいの大きさだった。毛に触って見ると、熊の毛は黒い、そしてブラシのように凄く固い。これは、ヒグマだ。

 集まって見ているのは、私達の他に、近所の同じぐらいの子供達だった。大人が集まって来て、「もう帰りなさい!と強い口調で言った。」この後、熊を解体すると言うのである。血が一杯出るので、「これを見るのはダメだ!」と言って大きなノコギリやナタのような包丁を取り出したのを目にした。

 私達を、追い払った。私達は、渋々帰って来た。でも今解体しているかと思うと、ゾッとした。見たいような、見たく無いような複雑な気持だった。

夕方に父が新聞紙に無造作に包まれた固まりを持って帰って来た。それを母に渡して、「今日の撃ち殺した熊の肉を関係者の皆で分け合った。」と言った。

 ウェー、熊肉だーと、びっくり仰天して、新聞紙の包みを見た。
 もしかして食べるのか?と思った。母はどんな料理をするのか?興味津々だった。

 翌日の夕食は、想像を超えていた。母は、熊の肉をじっくりと煮込んでカレーライスにしてしまった。
 熊カレーライスだった。熊の肉は、ドス黒かった。じっくりと煮込んでいて、柔らかくなっていた。
 熊は獣肉特有の臭みがあるが、カレー味が臭みを消して食べ易くしている。

 熊カレー、なかなか美味しいなあーと兄と一緒に味わって食べた。
 母は、「熊の肉でも食べて元気付けなよ!肝臓にもいいんだよ。」と言って進めた。
 
 父は「身体にイイんだー、この肉は!」と言って、黙々と食べていた。
 こうして初めて熊の肉を食べたのだった。その後、何回か熊が駆除された時だけ肉が手に入った。

 営林署に行くと、熊の剥製が飾られていた。その横には、ボコボコになったアルミニウムの弁当箱も飾られてあった。 説明文を読むと、熊に襲われた時に熊が噛んだ弁当箱だと書かれていた。良く見ると、歯形が弁当箱にハッキリと残っていた。これを見た時に、ゾッとした。

 動物園などで見ると可愛いが、ここで見る熊の剥製と弁当箱は恐ろしかった。そんな熊の肉を食べてしまっていいのかなあ?とふっと思ったが、もうーその肉は私の身体の中に入って一部になってしまった。
 熊の魂が入ってしまったのか?熊になってしまうのでは?と心配した時もあった。

 肝臓を悪くした後に熊の肉が良かったのか?分かりませんが、その後は元気が出てトレーニングに精を一層出せるようになって行った。


つづく〜


P.S〜今日の札幌市内は、一気に真冬に…
明日も雪で、やっと根雪状態です。

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札幌市西区の琴似通りにて…。





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