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zoom RSS 第二章 競技スキーにハマる -2

<<   作成日時 : 2018/12/16 14:56   >>

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中学校二年の時から、飛んでいた? 場所は、最近も行った「中山峠スキー場」で少し登って飛ぶチャレンジ 高台があると、すぐに飛びたくなっていた好奇心旺盛の時でもあった。 この時に既に冒険心が芽生えていたかもしれません。

本文・知られざるプロセス〜 「競技スキーにハマる−2」

 中学一年生の冬からは、ポールを立てたアルペン競技スキーの虜になって行った。

 定山渓には唯一のスキー場「三笠山スキー場」あり休憩が出来るヒュッテもあった。このスキー場は油緒ある名前だった。三笠宮殿下が来てスキーをここで滑ったことで三笠山スキー場と言う名前になった。

 クラブの中には、私より遥かに上手なS君がいた。同じ年齢の一年生だ。その兄さんは、エベレストの遠征テストスキー滑降をしていたプロスキーヤーで凄い人だった。たまに、三笠山スキー場へ自分の練習に来た。
 その時に短時間だったが、アドバイスをしてくれた。凄い憧れだった。

そんな兄を持つS君の上手さは、群を抜いていた。全道中学スキー大会では、一年生ながら一位二位を争う競技スキーヤーだった。三年生の時には、全国中学スキー大会で上位に食い込む成績を上げた。

 私の身近にいる憧れだった。少しでも追いつく為には、日々の練習しか無いと思った。母が作る大きな鮭のおにぎりを、必ず2個持ってスキー場へ通った。

 その甲斐あって、中体連のスキー競技にも出られるようなった。10秒前、5秒前、4・3・2・1・スタート!と切って出る瞬間の緊張感はたまらなかった。心臓がはち切れそうになってしまうぐらい緊張する。でもこの緊張感が、たまらなく好きだった。とにかく早く滑るタイムレースで時間との戦いだった。

 札幌近郊にある手稲ハイランドスキー場で行われた大回転のスキー大会で、緩斜面でもう少しでゴールと言うところで、大きな転倒をしてゴールをした。その時に、左親指を自分のスキーのエッジが当りグローブの上から切ってしまった。血が、ドロドロと流れ出た。グローブを取ると、親指の第二関節の所がパックリと切れていた。白い骨まで見えた。傷は、深かった。

 大会主催本部では、何かあった時の応急処置で、専属の医者が待機している。そこに行って緊急処置をしてもらった。結局6張りを縫う怪我だった。今でもこの傷は、ハッキリと残っている。

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中学生の時の「だるま山スキー場」です。
多分、ここで滑った最後の方の記録写真です。
右から自分で、兄、父親です。

 中学校から高校受験を迎えていた時に、勉強を真面目にやらなかった。と言うよりスキーばかりしていたので、公立高校の受験は諦めて私立高校を受けた。もしも大学まで行くならと思い、東海大四校等学校を受験した。もちろんスキー部に入る希望だ。

 無事に入学した東海大四高校は定山渓からバスで通うと札幌方向へ行き、モナミ公園前で降りると藻岩山が見ながら歩いて行く。しばらく平坦な道を歩くと急な坂が待ち受けている。そこを「根性の坂」と呼ばれていた。急坂を10分ぐらい登ると学校の玄関口だった。東海大学グループ の一つでもある「東海大学第四高等学校」だ。高校の更に上には、大学がある。高校から歩いて10分間ぐらいほどにある。

 入学式が終わり教室に戻って来てすぐに、クラブ員の入会合戦が始まった。いろいろなクラブ員が入って来て、お誘いを受ける。柔道着を着た連中が入って来て誘う、柔道部に入らなか? 私は何も答えない。

 次ぎは、野球部も入って行って来て部員募集のプラカードを持っていた。サッカー部・体操部・陸上部・テニス部・文化部と、まあー良くこんなに沢山のクラブがあるもんだ!と感心した。

 いよいよスキー部がやって来た。二年生だろう二名が来て、スキー部を宜しくと言って回っていた。私はこの場では、何も言わなかった。後で、入門に行こうと思っていたからだ。そしたら一人が「和田好正」さん、いますか?と大声で言ったので、ハイ!と答えたら、スタスタとその二名がやって来て定山渓中学校でスキー部をやっていたんだって?と聞いた。

 どこからその情報を聞いたのだろう。ビックリだった。スキー部に入らないか?と言ったので、あっさりは入ります。と答えた。最初からスキー部に入ろうと決めていたからだった。では明日の授業終了後に、グランドに集合と言われた。

 当日、部室に行くと新人のクラブ員が私を含めて5名が集まっていた。すぐに自己紹介が始まった。その中には特待生がいた。特待生とは特別に入学が認められた生徒である。それはあるスポーツに特化した技術や成績を残しているものに限る。

 スキー部で言うと中学校の時に、全道中学スキー大会で良い成績を残した実績があると言うことだ。その推薦枠で入学して来たのだろう。和寒町から来たY君だった。
 こいつが、ライバルかと思った。でも上手なんだろうと思うと少し弱気になってしまった自分がいた。

 グランドに行くと先輩達が待っていた。まずは挨拶から、みっちり教えられた。
 そのころのクラブ活動は上下関係が厳しく、暴力もありの世界だった。ガチの体育会系だった。正座させられて怒られることあり、平手打ちありだった。負けずと、頑張った。

 アルペン種目監督はW先生で、スキー部の総監督はU先生でノルディック選手を育てた有名な先生だった。
 その先生に1回だけ褒められた事があった。

 柔軟体操をやっていた時で、柔軟体操で又割りをやっていたら、みんな見ろ!と全員に柔軟というのは、背筋を真直ぐにして足首を立てて、こういう風にするのが正しいやり方だ!良く見ろ。部員全員に向かって言った。

 私がモデルだった。柔軟体操は、毎日やっていたので誰よりも柔かかった。褒められた事は悪い気持では無かったが、先輩達の視線を感じていた。いい気になるなよ! って言っているようだった。


つづく〜







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