思い出のワンシーン!(ワールド/アラスカ・WESC〜)

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ワールド エクストリーム チャンピオンシップス
私が前走をした時の滑降シーンです。場所は、アラスカのヴァルディーズです。

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今のスキーから比べると、かなり細いスキーを使用しています。まあ〜当時は、まだ無かったですからね!
この前走に出たことにより日本での「ジャパン エクストリーム チャンピオンシップス」を、初開催するキッカケを作ったのです。
それは、1994年のことでした。

日本での初の第1回 エクストリーム大会(1996年)に付きましては、後ほどチャンスを見て紹介する予定です。

1993年のモンゴル冒険が終わった翌年に、ぜひアラスカの「エクストリーム世界大会」を見に来て欲しい。 という現地WESCの協会オファーが飛び込んで来て、行くことになりました。
見学のつもりで行ったところ、ぜひ前走として滑って欲しいということで、いきなりヘリコプターで山のてっぺんに運ばれて滑ることになりました。
競技大会に慣れていない私は、焦りましたねー。何とか滑りましたけどねー

これが縁で翌年には、この「世界大会」のジャッジを頼まれて行くことになりました。2年間ジャッジを、勤めました。

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WESCのジャッジは8名で、皆さん全員が現役のエクストリームスキーヤーでした。 私もその仲間入りして採点を付ける、名誉ある役割をしました。 私は、一番右側手前のイエローのウエアーを着ています。

ジャッジは、選手と同じく滑降ルートの斜面を滑ります。 何故ならば、大会が始まる前に各ルートを滑り終わった後に、どこが一番難易度が高いか? を話し合い、高いポイント箇所を決めるのです。

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当時のWESC(ワールドエクストリームチャンピオンシップス)の会長・カレンさんが、私を呼んでくれました。
彼女の家に行って、パーティーに参加しました。 その時にいたのが、同じジャッジをする「シェーン マッコンキー」さんでした。私が作ったインスタントラーメンを、美味しく食べてくれました。

この時(前走した翌年、1995年)は、一緒に仲良くジャッジをしました。私がサングラスが無い、落としたみたいだーと騒いでいたら俺ので良かったら使いなよ! と気持ちよく差し出したのが「オークレー」のサングラスでした。スポンサーのだと思いますが、他人には渡さないと思います。 彼の優しい心に、触れました。

この時から、パラグライダーを飛び始めていた時期だと思います。この大会のセレモニーでも、盛り上げる為に飛んでいました。
この時は、まだスキーと一緒にしていませんでした。パラグライダーのみで、飛んでいたと思います。
その後、彼は残念ながら約10年前(2009年3月)に亡くなっています。事故死で、ベースジャンプの撮影中だと言います。(享年39歳で死亡)

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この掛けていたサングラスです。これはパーティーをやった時、カレンさんの家で撮影したものです。
この時のシェーンは、まだ25歳かと思います。

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これはアラスカ・ヴァルディゼールの空港にあるウッドのかけ看板で、大会で優勝した名前が掲げられてました。
1991年から始まった事が伺えます。今は、あるか? どうか分かりませんが・・・・。
私が初めて訪れた時には、「ディーブ スワニー」選手が優勝しました。

ジャッジの合間に、シェーンとのツーショットを撮影したポラロイド写真です。
彼はまだ若かったので、始めは随分チャラチャラしたエクストリームスキーヤーだなあー? と思っていましたが、実際に近づいて3日間ぐらい一緒にジャッジの仕事をしたり食事をしたりしていると、彼の素顔は真面目で立直で優しい礼儀正しい若者でした。

今思うと、素晴らしい人材を失いました。 将来のエクストリームスキーの発展に一躍かって、活躍の場が保証されていたでしょうー。とても残念です。

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思い出の「ワールド エクストリーム チャンピオンシップス」です。
シェーンよ永遠に安らかに・・・・・サングラス、ありがとうー。


つづく〜




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